絵の管理人、徒然コラム#9     

絵の広場・管理人徒然コラム


第9回 2003,4,8 写真と絵の関係について・・パート氈E・ピンホール!
写真機、いや、まだそこまでは到達していないが、ピンホール画像の応用については非常に古く、2400〜2500年以上も前にギリシャ人が残した文献が有ると、写真関係の本に書いてあったのを何かでを記憶しているので、多分、それ以前の、私が尊敬する古代人と呼ばれる人達も、この原理を知っていて、洞窟画等へは、鏡に近い物をも併せ利用して絵を描いていた事で有ろう。とロマンチックに想像を働かせているんデス。・・夢多きですな〜。

有史以来のいわゆる古代人は現代人より(漢字文化も含めて)優秀であったと信じている私は。ダゲールが画像の定着液を発明?即ち写真を(考案)する19世紀中頃までにも多くの絵描きがこのピンホール画像を利用して肖像画を描いた事と信じています。

ルネッサンス以前にはこのピンホール画像を発達させるために、すでに、《レンズ》さえ発達しただろうと推測する私は、ダ・ビンチがこれ等を利用した事は明白だ。と考える一人です。『モナリザ』の背景は間違いなく、写真によるパースペクティブ(透視図法)です。これは、ピンホール写真機、レンズの発達を容易に想像させます。・・・《ダ・ビンチの逸話の中で、{旅行中には、必ず大きな描きかけの絵をイーゼルに立てかけた儘、布を掛けて運んだ。}》・・と言う話しが出てきます。・・私は、これは絵ではなく、ピンホール写真機ではなかったか?と疑いを持っておりますが、美術史家は恐れ多くて??、この事には、触れません。多分、世界中で初めて私が、勇気を持って発表しているのです。今。・・・どう思われますか?

ピンホール写真機とレンズの発達の組み合わせがなければガリレオが使用した望遠鏡の発達もなかったでしょうし、天体を描く事もあり得なかったと思いますし、14世紀からのルネッサンス期以前にあれほどの肖像画は排出はされなかったでしょう。プリントがなかったので、肖像画を描く絵描きは職人仕事で有った訳です。言い過ぎでは有りません。後の、フェルメール。私もその色遣いは大好きですし、ダ・ビンチに匹敵すると思う作者ですが、構図はやはり完全なる《1点透視図法です。》どんなに考えても、やはり、明らかにこのピンホール画像を利用している。と、明言します。が、美術史家の皆さん、絵描きの皆さん、どう思われますかね。

ファン、アイク・アンジェリコ・ティッツアーノ・デューラー・他皆利用していたと思うんです。それは、時の権力者の要請ですから仕方のない事だったのでしょう。又、早く完成させる必要性も有ったでしょうからネ。ですから、《往時の絵描きのデッサンが、現代人より優れていた。》とは、これまた《断言できない》と思うのです。・・・余談ですが、現在のフランスでは、子供達の絵の時間には方眼紙を与えます。・・《確実に見る目を養う為の伝統》と思うのですが。それと、美術館へは月に1回は連れて行く。とも聞き及んでいます。

16世紀中頃のイタリア人による光の調節を果たす絞りの考案、更に19世紀初めのタゲールの印画紙への定着液考案後、絵描きは写真との葛藤が始まったと考えます。・・・(印象派の起因にも??)

アングルの写真利用は余りにも有名ですが、ドラクロア・ダビッドさえそうでした{(私が思うに)権力者はモデルを努めているほどの時間はなかった筈。}・・更に、あのムンク・ダリでさえ写真を利用しています。然し、ムンクに限っては、完成作品には写真の跡が全くあり得ないのに・デス。モネも好きでした。・・睡蓮の一連の作品で何となく解りますが??・・どうでしょう?

特に、印象派以後、絵描きは写真をどのように扱えば良いのか。で、意見は大きく分かれた事と推測します。何故なら、現代の美術大学の試験を見れば分かります。・・外光派的(フランス的)デッサン方法が重視されます。・・少なくとも日本では。写真からいかに離れるかが命題にもなっています。《個を重んじる考えに立脚するとそうなる》・・私の絵も同様です。

然し、現代の若者絵画は古きへ回顧しつつあります。

現在では、写真のように描く人が又増え、ゴヤ、ラトウール等印象派以前のスペイン絵画風がはやっています。これも時代でしょうか。又、写真を完全に利用した若い作家がもてはやされております。例えば、クリスチャンセン。写真の組み合わせからのシルクスクリーン版画。って奴です。・・これに至っては、アイデア勝負であって絵画より、デザインの部類に入れるべき物で、印刷技術を褒めるべき物です。・・ひどい作家になると、キャンバスにポジフィルム写真を幻灯機であて、輪郭をとっていくだけの人もいます。然し、私がひどいと云っても、歴史的な観点からみればおかしくはないのです。

ただいえる事は、ピンホール画像を利用したとしても、現代の作者は、人物画に限って、昔の絵描きには勝てない。と言う事だけは確実です。・・何故でしょう?(この理由は後日書きます。)・・・かといって、写真家に、絵描き以上の作品を。と言うと、シャッターを数押せば何とかなる。その程度の人しかおらず、この時代になってさえ、私が認める写真家は本当に僅かで、徳川慶喜に勝る写真家さえ少ない。無名の記録写真だけが残ります。

さて、お願いがございます。私は、美術史の専門家でも写真の歴史認識者でも有りません。もし宜しければ、このような事で何かご存じの方、興味をお持ちの方、ご意見をお寄せ下さい。

尚、徳川慶喜の写真は有名ですが、安藤(歌川)広重が幕府一行と同行して東海道を歩いた。と静岡県立美術館が説明しています、然し、実は、彼の版画作品と、直筆絵画の落差は余りにも、ものすごく違います。・・《私にとっては、実に信じられない事なんですが》 ・・・本当に歩いたのでしょうか?(蒲原の雪も疑問です。箱根は夏の風景で富士山の位置が不自然です。)

・・・家康は、既に西洋人から望遠鏡を手に入れていました。当時の島津、毛利、伊達等の貿易を盛んにしていた武将も当然です。と言う事は、戦国時代から江戸時代の初期にはガラス乾板式の箱形カメラが日本にもあった。と言う推測が成り立ちますが、如何お思いでしょうか?

このあたりに付き、ご存じの方、あるいは推測でも宜しいです、ご意見をお寄せ下さい。

宜しくお願い致します。   管理人。

《レンズの歴史について》 春田様よりご意見を頂きました。

 レンズの発祥は紀元前になります。

現存する世界最古のレンズは紀元前700年ごろの古代ニネヴェ(元イラク北方)の遺跡から発見された直径3.8cm、焦点距離11.4cmの研磨された水晶の凸レンズ。太陽熱を集めるためのものだったようです。

中国では不老長寿の縁起ものや魔除けとして天然石のレンズを古くから使っていたようです。

ローマ法王ネロは、エメラルドのレンズを用いて剣闘士たちの闘いぶりを観戦していたと、ローマの著述家プリニウスが書き残しています。

北イタリアのヴェネチア地方では、13世紀にはすでに無色透明のガラスが造られており、その技術を生かして北イタリアではメガネが使われていました。

当時の修道士が1305年にフィレンチェで行った説教の文中に「視力を回復させるメガネをつくる技術は、この世で最も役に立つ技術だが、この技術が発明されてから未だ20年も経っていない」という記述があります。




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